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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」128 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

 小栗椿は黒椿(「崑崙(こんろん)黒(こく)」)

 春四月ごろに咲く小栗上野介墓前の黒椿は、花びらは濃い赤だが、芯のあたりがふつうの椿が黄色く見えるのと異なり黒く見えることから、黒椿「崑崙黒」とされる。1868慶応四年閏四月六日(西暦5月27日)小栗上野介は東山道を進んできた西軍によって「反逆の意図明白なり」との言いがかりで家臣3名とともに村内の水沼河原で斬首され、釈明のため高崎藩士に同道して高崎へ行っていた養嗣子の又一忠道も、いっさいの取り調べもないまま翌日七日、城内の牢屋の前で家臣3名とともに斬首された。

 小栗父子主従が西軍に殺されたあと江戸屋敷からのたくさんの荷物が倉賀野
河岸(か し)に着いた。しかし荷受け人が殺された後だったから競売に付され、知行地であった下斉田(しもさいだ)村(高崎市)名主の田口十名蔵が倉賀野河岸に近い村だったことから植木類を買い取った。

 明治二年春に小栗父子主従の墓ができると、知らせを受けて田口はお殿様遺愛の鉢植えの黒椿とシャクヤクを抱えてお参りし、墓前に植えていった。幹の太さが160年以上経っているとは思えないのは、当地の気温が低いため。

 シャクヤクは、後に日当たりの良い胸像のそばに移し、小栗まつりの終わる五月下旬から花をつける。薄紫色の花びらが二段に咲き、二段の真ん中に白い花びらがエリザベス女王の首飾りのようにぐるりと咲く、気品のある珍しい花。

 西軍(明治政府軍)は「陣屋を構え…砲台を築き…逆謀判然」したからと、高崎安中、吉井藩に出動を命じて捕らえさせ、小栗主従を殺害している。本当に新政府軍に反逆するつもりなら、家族ぐるみで、植木類まで運んで来るだろうか。この黒椿の花は「庭木を運び家族連れで戦いを準備するものか!」と、西軍が罪なき主従をいいがかりで殺害したことを証明している、と見える。

  小栗椿の見分け方
 花の芯が黒ずんで見えるほか、花がない時に背後の山にあるヤブツバキとの見分け方は、葉の先がツンと尖って伸びていること。「小栗かるた」の絵でもその特徴がわかりやすく描写されている。

本紙2686号(2025年5月27日付)掲載





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