村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」125 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
日本はポルトガルの植民地⁉ 2
宗教から植民地化 西へ進んだスペイン人は武力で抑えられる国はそのまま武力で植民地化した。たとえば、征服者ピサロはペルーのインカ帝国を200名足らずの兵とたった13丁の火縄銃でインカ王アタウワルパらをだまして殺害し、インカ帝国を
滅ぼしている。チリ、エクアドル、ボリビアも同様に植民地としスペイン語圏とした。ポルトガル人も同様に東へ進んで、アフリカ西海岸を次々に植民地とし、インドのゴア、中国のマカオを抑えて日本をうかがった。ところが日本は「サムライ」という戦う集団がいて手強いと知って、まず商人と宣教師を送り込み、次第にキリシタンを増やしてキリシタン大名を陰で支援し、宗教面から日本を支配してゆく戦略をとった。
秀吉の「バテレン追放令」 織田信長はスペイン・ポルトガル人のこの戦略にうすうす気づいていたが、一向一揆のような反乱を起こしても遠い本国からの補給が続かないだろうとして、「天竺宗」と称する仏教の一派として扱い、持ち込まれる硝石が貴重な火薬の原料だから容認、京都に「南蛮寺」を建てることも認めていた。秀吉はそのころ(映画「将軍」の背景に見え隠れする西洋におけるカソリックとプロテスタントの違いや両者の争いなどは知らないが)キリスト教の戦略を察知した。
さらに一神教のキリスト教は異教徒をまともな人間とは見なさない面があり、隣国を攻めたキリシタン大名が捕虜や領民を奴隷にしてたくさんの日本人を外国に売り飛ばし、当時すでに5万人くらいの日本人が海外に売られていたという。しかも
その奴隷証明書を宣教師が書いていることを知って秀吉は激怒、
「バテレン追放令」(バテレンとはパードレ=宣教師のこと)を発して追放し、以来キリシタン禁教の政策は家康-秀忠-家光と引き継がれて徹底的にカソリック追放を果たす。
明治政府が始めた学校教育で、秀吉の「バテレン追放令」をたんなる宗教弾圧として悪い印象で教えたのは、以上の内情を踏まえない明治以来の教育の誤りといえます。
本紙2677号(2025年2月27日付)掲載
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