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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」102 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

 不毛の攘夷運動

 こうして横須賀製鉄所は着々と近代産業の源泉としての構造物や機能を整えていった。しかし、ここまで来るのは容易ではなかった。幕末の近代化に最も障害になったのが「不毛の攘夷運動」だった。あえて「不毛」としたのは、幕府から政権を受け渡された薩長新政府は、明治以後は「攘夷」の看板などすっかり引っ込め、平気で外国と交渉し、鹿鳴館に象徴される西洋化を進めた。攘夷など討幕のための空念仏のスローガンに過ぎなかった。最大の公約違反といえる。

 不毛、と言えば尊王攘夷運動の総本山ともいうべき水戸の烈公と言われた水戸斉昭も次のようなひどい手紙を福井藩主松平春嶽(慶永)に送っている。
「外国人交際の道、最宜敷事にてはなし、乍併(しかしながら)、今の時世いかんともすることあたはず、貴君(慶永)には、御少年之義にも候故、以来の御心得に可申候。とても攘夷など被行候事は難出来、是非交易和親の道、可相開、其時は御尽力被成候がよろしく候。斉昭老年也、攘夷の巨魁にて、是迄世を渡り候ゆへ、死ぬまで此説は不替心得なり。貴君へ此事申入る」(松平慶永『逸事史補』)

 (外国人との交際はよいことではない。しかし今の時世ではどうにもできない。あなたはお若いことだから、今後のために申し上げます。とても攘夷などできないから、交易と和親の方策を建てるのがよい。その時は努力されたらいいでしょう。自分は老年だから、これまで攘夷の巨魁として世を渡ってきたので、死ぬまでこのままでゆきます。貴君にこのことをお伝えします。意訳:村上泰賢)

 なんとも呆れた手紙と言ってよい。水戸藩は攘夷論を振りかざす改革派家臣と、過激な攘夷論は水戸徳川家がつぶされかねないとする保守派の家臣が互いにしのぎを削って藩内を二分し、やられたらやり返す血で血を洗う藩内抗争が繰り広げられているのに、その根本原因を作った当主斉昭がこのような不毛・不誠実、かつ無責任な人であったとは、呆れるしかない。水戸を震源地とした不毛の攘夷運動で殺し殺された外国人も含むたくさんの人々の霊は、浮かばれない。

本紙2608号(2023年3月27日付)掲載





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