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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」99 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

マザーマシン(つづき)3

 首長ヴェルニーは仏公使ロッシュ及び幕府老中らと協議して造船所創設に関する「横須賀製鉄所建設原案」を定めた。造船所の規模をフランス・ツーロンの海軍工廠のおよそ3分の2の規模とし、製鉄所1、修船渠(しゅうせんきょ・ドック)大小2、造船場3、武器庫、廠舎などを含めて4年で完成させる。その費用総額240万ドルを毎年60万ドルずつ支払ってゆくことで合意した。

 幕府はいったん横須賀製鉄所の地形じぎょう工事を指示してフランスへ帰国したヴェルニーを追うように、ヴェルニーの機械類買い付けや、技師職工の雇入れに立ち会わせるため外国奉行柴田日向守一行を派遣した。フランスで合流した柴田らが機械類の買い付けで「お金はなんとかする、なるべく新しい機械を買って…」というと、ヴェルニーは「いや、新しい機械は故障する確率も高い。日本は故障しても簡単に修理できる環境でないから多少型が古くても長く使われて安定している物を買います」と答えている。そういった誠実かつ慎重な配慮がこのハンマーにも生かされて今に至っている、と感激した。

 さらに工場長は、「皆さんが見学にくるというので久しぶりに動かしましたが、施設に新しいハンマーが入ったからこのハンマーを動かすのもこれで終りでしょう」といくぶん寂しそうに語る。新しいハンマーはさぞ大きいのでしょう?と訊くと「ええ、50トンです」という。開いた口が塞がらなかった。
いま思うと、あのとき「では、その50㌧ハンマーも見せてください」とひとこと言えばよかったものを・・・、惜しかった。

 その後横須賀市はこの3トンスチームハンマーを大蔵省から譲り受け、ドックの海向かいのヴェルニー公園西端(JR横須賀駅の隣)にマザーマシンのハンマーを展示する「ヴェルニー記念館」を造り、近代化遺産として展示している。もう動かないのは残念だが、やむを得ない。あの時が稼働する最後の姿となったから、いい時に現場を見せてもらえたと思っている。

本紙2599号(2022年12月27日付)掲載





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