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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」95 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

 鍛造と旋盤 ネジ・ボルトをはじめ船の鉄の部品とそれを扱う工具はここや「練鉄所」で作られた。

 電気灯 電気灯(アーク灯)が明るくともって、夜業が行われていた。大阪紡織よりも3年早い。

 構内の鉄道 造船所内の運搬作業には馬車鉄道が使われていた(官廰の屋根左上)。東京―横須賀線開通はこの6年後(明治22年)となる。

 製罐所(左奥) 蒸気機関の釜や窯を造る。

 製飾所(中央) 飾り物といわれる船の各種の細かな金物から、銃器類の小さな部品、船の鍋、釜、皿、ナイフ、フォーク、スプーンやドアノブまで造る。

 組立所 錬鉄所などで製造した部品を完成させ、テスト運転をして仕上げてゆく工場。

 造船小屋 雨天でも作業ができるよう大きな屋根をかけた造船台。造船は陸上の傾斜した船台で行い、完成すると船台上を滑らせて進水させる。進水後の細かな工作や部材を取り付ける「艤装」はドックで行い、船台は次の船の建造に入る。船の大型化に対応して船台の周囲を覆う大きな鉄骨製コタツヤグラのようなガントリークレーンが設置されたのは、日露戦争後の1907(明治40)年。

 船台は造船所の花形職場で、ここから日本近代化のシンボルとしての蒸気船が次々に造られ、船舶工学が発達し昭和30年代に造船大国となった基礎がここにあった。いまのダイエーの裏あたりにあたる。

 洋式船の建造は、ハート型の下端のようなキール(竜骨)で接地するだけだから、強風に耐えるよう周囲からたくさんの材木で支えて造ってゆく。横須賀が選ばれた理由の一つに、近くの山が強風を防いでくれることがあった。
その右脇の「船台」は、ドックを建造中の慶應四年五月に設置した修船のための曳揚げ船台が、ドック完成後も残っていたと思われる。

本紙2587号(2022年8月27日付)掲載





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