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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」92 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

 製綱所(つづき) 幕末にロープで苦心したのは尊皇攘夷を強烈に唱え攘夷運動の総本山といわれる水戸藩主德川斉昭。外国船の脅威に対抗するとして洋式帆船「旭日丸」を建造させ、苦心して1856安政三年に竣工した。強い綱の原料を探したら女性の髪が強いとなって藩内中の女性から髪の毛を集め、苦心して編み上げたが水に濡れた途端にバラバラにほどけてしまった。「女の髪が強い」のは女性の情念の強さを髪の毛で象徴しただけの話で、物理的強度があるわけではない。提供した婦人たちの怨念が増す結末となった後世の笑い話も、当時は真剣だったからよけいおかしい。

 さらに斉昭は鉄板を貼った大きな丸桶の四方に小窓を開け、車に載せて運び、兵士一人が入って射撃すれば外国の武力に充分対抗できる、と「安神車あんじんしゃ」を造らせた。床には小用を足すフタ付きの穴がある。

 戦車のハシリともいえるが、射撃音が反響し、硝煙で呼吸困難になりそう。その鉄桶の移動はなんと鎧を付けた牛に曳かせるというから、牛が撃たれたら移動不可能となるし、傷つき驚いた牛が暴走したら恐ろしいことになったろう。さいわい一度も実戦に使われることなく、今は展示物となっている。
水戸の東の太平洋に黒船が出没すると、どこからでも上陸できる九十九里浜があるだけに斉昭は切迫感を持ったのだろう。しかし烈公と呼ばれる気性から冷静な忠言を聞き入れる耳は持たず、殿様の権威を押し通しての攘夷運動は藩内に内部抗争を生み出し、過激な処罰とその報復、権力闘争の繰り返しで明治以後に活躍できる人材は払底してしまっていた。過激派水戸藩の悲劇といえる。

 製帆所 ロープは製綱所で作るが、帆はどうするか。「一覧図」の左、鉄工関係工場の左に「製帆所」が見える。ここで綿や麻糸から強い帆布を織り、切って縫って、帆を製作していた。今若者に人気の「帆布」が日本で最初に蒸気機関によって機械製造されたのも総合工場の横須賀造船所である。

本紙2581号(2022年5月27日付)掲載





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