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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」91 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

「横須賀明細一覧図」 

製綱所 「一覧図」で見ると造船所入口あたりの通称「長ムネ」と呼ばれた長い建物「製綱所」は、金ヘンではなく「糸ヘン」だから綱を製する所=ロープの製造所であり、日本最初の蒸気機関による近代ロープ工場となる。
長さ273mもある板壁(後にレンガ)の建物。慶應三年ごろから蒸気機関を用いて各種ロープの製造を開始した。しだいに造船所のロープ製造技術が民間に流れ品質も向上したので、買ってくればいい、となって明治21年に操業を停止し、建物は解体されてしまった。後述するが、世界遺産富岡製糸場のシンボル、レンガ造りの東西の置繭所はこの製綱所をモデルにしたと見ていい。
船でロープの用途はたくさんある。原料から言えば、麻と綿のロープそれぞれに用途があり、太さも何種類も必要になる。用途はまず基本として帆の開閉に使うほか荷物や器具の結束、船の係留などたくさんある。黒船・蒸気船といっても、当時はふだん石炭を節約して風で走る機帆船であって、風がないときや嵐の時など、それに港の出入りだけ石炭を焚いていた。航海中に石炭を使い果たして港へ入るのは船長の恥で、「あの煙突は飾りか」と冷やかされたという。


時計塔 製綱所の先端に時計塔がついている。近代日本の定時労働制は幕末に横須賀で始まったが、全国共通の正確な時間は存在しないし、どの家庭にも時計がなかったから職工たちはお寺の鐘や鶏の声、表の明るさで時刻をはかって起き、弁当を持って山坂を越えて出勤した。15分遅刻すると一日欠勤とされた。製綱所の時計を30分進ませてあったという裏話もあるが、真偽は不明。ともかく時計塔で定時就労の習慣が定着していった。現在日本の交通機関の時間厳守は来日外国人の驚きの一つになっているが、かつての日本人はひどかった。時計がなかった時代の名残で、戦後も時間にルーズな国民と言われていた。筆者が子供の頃に見た大人の会合は30分遅れで始まるのは当たり前。それを見越してやってきた遅刻者は自分の集落の名を入れて「〇〇時間だ」とうそぶいていた。

本紙2578号(2022年4月27日付)掲載





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