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阪村氏のねじと人生

冷間鍛造とAMTCロボ

 冷間鍛造はシマノから教わった。

 明治45年(1912)、堺には輸入自転車の部品製造のため島野鉄工所、前田鉄工所等が誕生した。島野社長は、昭和33年(1958)創業者・島野庄三郎の逝去に伴なって、30歳の若さで社長に就任し、売上7億円弱の赤字会社を35年間で年商1664億円に急成長を達成させている。秘密はアメリカにある。

 阪村芳一がアメリカでフォーマーの機構を勉強している頃、島野社長はブラウンよりスラグフォーマーを輸入し、冷間鍛造技術を確立していた。そして、量産した自転車部品はそのアメリカに輸出していた。

 当時低賃金の日本が、アメリカと同じ方法で生産し、360円の円安で輸出するのだからシマノの莫大な投資は回収できる。阪村機械は、員ドロワーの装備したスラグフォーマーの注文を、シマノよりもらっていた。

 このスラグは、焼頓・ボンデ処理をし、内装3段変速の3スピードハブのパーツを冷間鍛造で成型する。このスラグの焼頓工程と穴抜きで発生するスクラップを省略する目的で、阪村機械の多段式熱間フォーマーをシマノは購入した。内外径を鍛造し、次工程にトランスファーを行って、穴抜き時に発生するスクラップを親子組み合わせのスラグにするため、熱間で焼頓済みのスラグが入手できることになる。

 阪村機械はシマノとの取引を通じて、いろいろと教えてもらったが、技術開発は松本周三と社長の弟である敬三専務が行っていた。社長には天運があった。アメリカでは、心筋梗塞で倒れたアイゼンハワー大統領が自転車のリハビリで完全復活したため、自転車の大ブームが巻き起こっていた。また開発の努力もしていた。特に各部品の品質管理は徹底して行っていた。

 コの字型の3名で構成された各設計仕切り部屋の中央には、壊れた自転車パーツを置き、設計者が毎日手でさわり、見れるようにしていた。生産ロボットは自社で製作し、狂いのない強固な設計で工場の無人化を図った。

 海外はシンガポール、イタリア、チェコ、そして中国各地に市場と低賃金基盤を求めて展開し、敬三専務はハイヒールの靴で自転車に乗り、誰でも乗れて愛される自転車の開発に没頭していた。この人とは、ミラノで食事の約束をしていたのに急逝されてしまった。

 阪村機械が世界に誇るパーツフォーマーの段替えロボット・AMTCも、シマノのヒントで開発が可能となった。

 トヨタでは「カンバン」システムの生産方式を開発したため、各社でパーツフォーマーの段替え頻度が増えた。また、難形状高精度パーツを鍛造するため、3番ダイスのインサートが2千個で交換するパーツもある。そのため、6段工程の金型全部の交換がワンタッチで行え、且つ3番工程のインサートだけの交換もすべて全自動で行える「段替えロボット」の開発が業界より求められた。松本周三は、いくら剛性をもたらしてもロボットは経時劣化で磨耗する。何年経ってもロボットの脱着センターに狂いがこない設計が必要だとの指導を受けて開発した。

 これが嵌合芯出しのAMTC型段替えロボットである。すでに1号機は20年以上経っているが、メンテナンスフリーで、変わりなくピタッと脱着の芯を合わせている。

 また、鍛造するパーツにより鍛造工程の設計上ワンランク径の大きいVA金型を用いる場合がある。

 金型の径の大小、チドリ配列になっても、AMTC型ロボットは万能で用いられる。KOピン、3本ピンが不完全な状態の時は信号を発信し、自動停止する。取り出した工具は温かい間に、超音波ジェット洗浄と乾燥を行って、回転式工具収納庫に収められる。放置しておくと、エアー抜き穴がボンダリューベとクーラントオイルで固着して詰まる。

 母がよく言った「食べたちゃわんはすぐ洗う」飯粒が固まらずに簡単に洗える。

「親の言葉とナスビの花は千に一つの仇もない」といわれているが、その通りで親の教えをロボットが行ってくれている。

本紙2004年10月7日付(1946号)掲載。


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