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阪村氏のねじと人生

京都事業所と熱間フォーマーの開発

 JRは電化しても、客車に残っている煤がどこからともなく飛んできて服を汚す。人も、心を入れ換えたと言っても潜在意識に残っている煤が出てくる。『三つ児の魂百まで』といわれる所以(ゆえん)である。だが、新幹線は煤がない。

 事業所は全く新しい土地につくり、機械と金型とパーツをYKKのように自社ですべてを作るべきだと考え、京都事業所の建設に着手した。

 土地の買収資金は大和銀行(現在りそな)が全額用意してくれた。大和銀行は、野村徳七氏(1878~1945)が大正7年に設立した野村銀行で、母の親戚が嫁いでいる。社章は“へとへと”になるまで前進する。企業は7割の確実性を握ったらあとの3割の不確実を突破する勇気がなければならぬ「いたずらに迷うのは企業ではない」と5千万円を用意してくれた。

 “生長の家”では京セラの稲盛さんも信徒だが、目的を一点に集中すれば人はレンズと同じで、必ず目的は燃焼する―と、京セラの成功例を話して頂いた。

 京都工場では、日本では今までやっていない全自動熱間フォーマーの開発から入った。

 「ヤケドするで、熱いものにはさわらない事だ・・・」と注意されたが、姫路では裸になって塩をナメナメで熱間鍛造をしている。オランダのネドシロフ、スイスのハテバー社では「自動機」に成功している。

 問題は、彼らの特許をどのように避けてつくるかであった。

 1号機、2号機と失敗した。鍛造したブランクが1番パンチにくっつくのである。担当していた谷口(サカムラホットアート社長)がラムを2つに分け、1番だけ別に圧造する方法(原理はネドシロフ)を採る以外に方法がない。そしてパンチにくっついたブランクを強制的に突き上げて、トランスファーチャックに入れる。

 いわゆる、サカムラ熱間フォーマーの基本的なコンセプトがこの3号機目でやっと固まった。お金の事はナットフォーマーが何百台と売れている時代だから、心配はないが、谷口とお客は夜遅くまで、よく頑張って成功させてくれたと思う。

 「鉄は熱いうちに打て」
 
といわれるが、この情熱がなければ成功しない。

 熱間フォーマーは完成したが、工具、加熱装置、運転するためのソフトが全然ない。そのため、東京のイチヤナギでハテバー社の機械を見させて頂き、熱間は1に冷却、2に冷却で、金型・パンチ・KOピンを冷却し且つ、圧造ブランクは冷却しない―という相反する条件を満たさなければならない―という難しさを教えられた。

 トヨタでも、縦型プレスに比べて横型フォーマーは10倍金型の耐久性がよいが滝の如く圧造部に冷却水がかけられるからで、5000トンプレスまでは横型フォーマーで出来れば入れ替えたい―と言われている。

 イタリーのトップメーカーであるビフランジ社も同じ考えで、世界最大の2100トン横型熱間フォーマーの開発に入っている。この熱間金型の冷却で苦労している時に、NSKのベアリングを専門に鍛造している金子より内外輪を同時に成型するベアリングフォーマーをつくって欲しいと申し込まれた。

 金子の特許は図面では出来るアイディアだが、果たして1200度の鍛造温度に耐えられるか否かは、疑問であった。ただし、3段分離だけが問題で、その他はすでに出来ている。野村哲学の7割が科学的確実性を握ったのならば、あとの3割の不確実性に恐れてはならないという言葉と、堀越技師の「零戦」開発時の設計技法からみて、これはいける。あとは谷口、石田の情熱と、金子の協力で完成する―と決断し開発に着手した。

 苦労したが、このベアリング熱間フォーマーの完成にて、日本のベアリングメーカーはすべて阪村熱間フォーマーを採用し、その出荷台数は100台を突破した。

本紙2004年9月17日付(1944号)掲載。


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