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阪村氏のねじと人生

ねじ業界への参入

 アメリカの工業力は大量生産、大量販売で成り立っている。自動車のT型フォードの大量生産方式が、それを証明している。
 そのためには、部品の互換性と標準化がいる。いわゆる規格化である。ねじはその点優れており、たとえば電球はエジソンねじで山も谷も丸く統一されている。ミシンのねじはシンガーミシンで統一されており、一般的なねじはISO規格で全世界が統一されている。

 その中でも特許のプラスねじ(十字頭)は、ヘンリー・F・フィリップスによる20件の特許で成立しており、1960年代半ばにフィリップスの特許が失効したとき、特許の使用権を持っていた企業は米国で160社、外国で80社といわれているほど、特許による保護も行き届いている。

 無一文で始められ、全世界を相手に商売を行えるのは、台湾が狙った「ねじ」である。

 これからは「ねじ」一筋に絞って生きよう!と考えたのはこの時からであった。

 そして運命の出会いは、クリーブランド郊外のウェリントンにある。カッツ氏の経営するパイププラグの工場訪問により始まった。

 パイププラグは、パイプの「詰め栓」であるが、日本ではその昔、種子島鉄砲のねじ栓プラグに苦心して開発したいわゆるねじの元祖である。

 工場を訪れて驚いたのは、プラグの種類の多さであった。鉄、黄銅、ステンレス、アルミと、あらゆる金属でつくられたプラグが、各サイズ或いは各形状が、メッキの種類にも分類され何千種類と作っていたことである。そして、すべては規格品のため必ず売れる。そのため在庫が持てる。

 在庫が出来るから、限定した範囲での自社の生産計画による量産が行なえる。これをヘッダー、フォーマーを用いて行うのだから確実に儲かる。ねじの隙間産業である。

 これだ!日本に帰ったらこれをやろう―と決めた。カッツ氏と商談を決めたら「先ず大型ヘッダーを作れ」ということである。

 日本にないのだから、必ず売れる。プラグは一個1円のため、一千万個注文をあつめても1千万円だ。今の日本で一千万個のプラグを集める事は至難の業だが、ヘッダーなら一台1千万円の売上げとなる。

 「阪村機械で作るなら、図面、金型、線材全ての応援をしてあげる」というのである。

 これは有難い。機械は契約と同時に前金がもらえる。先ず金だ。早速、三菱商事(株)ニューヨーク支店との間に150台のねじ機械輸出契約をまとめた。

 初めてのアメリカ向けだから、全く処女の工場がよいと思い、先般アフターサービス用に設けた東京工場の拡張に入り、すべて東京で生産することとした。

 また、アメリカでのサービス会社がないため、ボルト、ナット、バネから、電気、給油、エアー関係の部品一式すべて、アメリカの有名ブランド品を輸入して揃え、完成品出荷後何十年たってもアメリカ各地の客先が困らないよう部品の調達とアフターサービスに備えた。

 そして、20歳前後の優秀な技術者を、東京で採用した。その中の一人である現・東京阪村機械(株)の樋口隆久社長は、このとき日給610円で採用している。現在のパート時給以下の日給である。就中、円対ドルが360円の為替レートであったため、優秀な技術力の入用な機械製造業は、それ相応の輸出競争力があったわけである。

 そして何よりも大きな収穫は、(株)阪村機械製作所が日本最大のヘッダーを開発した!という名声であった。他の同業者が製作できない20ミリ径を完成したというので、関東加熱鋲螺釘組合の方々が連日、試運転の状況を見学に来社された。

 生産性が従来の10倍以上も速く、且つ加熱炉も用いずに、冷間で太径ボルトが鍛造できるのである。

 次々と導入が決定され、阪村機械は、東京のねじ業界で認められる存在となった。

 また、そのころ建築法の改正があり、鉄骨の建造物は従来のリベットによるカシメ締結からハイテンションボルトによる「摩擦接合工法」にかわり、これにより大型ヘッダーの需要が増大した。

本紙2004年6月17日付(1935号)掲載。


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