村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」84 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
「横須賀明細一覧図」
宿屋 横浜から定期船に乗ると、「一覧図」中央下部の現在ヴェルニー公園の真ん中あたりにあった民間用波止場に着く。その右上(いまダイエーの西裏手・クルージング船の船着場)の場所にある北西向きの波止場は古くからの造船所専用の波止場で、造船資材や関係者が上陸する。民間用波止場は観光客向けにあとから造られたと解釈出来る。
波止場に上陸すると波止場の周辺(現在ヴェルニー公園)に宿屋が並んでいて「中村屋」「松坂屋」「三富屋支店」、少し離れて「鈴木屋」が見える。当時は予約なしで客が来るから、波止場に到着する客を目当てに宿屋の番頭が一日5回の船便に合わせ客引きに出て、「一本つけて勉強しますよ」などと宿へ誘う。昔はサービスを「勉強する」といった。
客が宿帳の他に「造船所見学届」を記入すると夕方のうちに宿から造船所に届けられ、翌朝、朝食がすむと8時に宿を出て番頭に案内され「御場所」と呼ばれる造船所に入る。当時の門は製綱所建物の北の末端あたりで、今も東門として使われている。現在の大通りに面した広いゲートは戦後に米軍が接収して横須賀基地としてからのもので、もちろんこの図にはない。
「一覧図」上部の枠内説明文に「船渠(せんきょ・ドック)及び諸機械の運転効用を観(み)んが為内外国人を問わず来観する者一日数百人の多きに至る……」とあるように外国人もおおぜいが見学に来るようになったから、旅館も対応して「HOTEL」などと引札に書くようになった。
妓楼 観光客の増加に伴って一覧図の中央やや右寄り海沿いの大滝町一帯には妓楼も20数軒出来て、芸妓が200名くらいいたという。温泉こそないもののすっかり遊興の場と化した部分もあって、昼間から三味線の音が流れ、にぎやかな声が響く一大観光地となっていた。
本紙2557号(2021年9月27日付)掲載
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