村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」81 -日本産業革命の地・横須賀造船所―
「横須賀明細一覧図」
「一覧図」上部説明枠の中央部で「そもそもこの港内に造船所を設立したのは慶応元年で、幕府は仏人技師ヴェルニー氏を雇い造船所設立の地とした…」と首長ヴェルニーを紹介している。「幕府は・・・」としながら、小栗上野介の名が出てこないのは武田斐三郎が函館と出身地の大洲市以外で知られていないのと同じく、明治政府はどれほど国家に功績を残そうとも「近代化は明治以後」と教えて幕末期の幕臣の名は表に出さず、教科書にも載せず隠してきたから。そのためほとんどの日本人は明治政府が横須賀造船所を造った、と誤解してきた。
4月号『明細一覧図』明治16年版で見れば、最初のドックが建造中だったほかは明治元年の様子と変わらない配置で工場群が完成しすでに稼働していた。
戦後「横須賀は軍港だった」という軍国主義の象徴のようなイメージと、米海軍基地兵士の「基地犯罪」や原子力空母寄港の反対デモをかけられる街、二つのマイナスイメージが市民のコンプレックスになっていたと思う。これからそのマイナスイメージを払拭し、日本産業革命の地として日本近代化を牽引してきた街であることを確認してゆきたい。
横須賀への観光客は富士登山や、熱海、箱根の温泉帰り、大山詣での帰り客、さらに東京見物の客も足を伸ばしてやってくる。外国人も見物に来る。
『一覧図』上の枠内に「船渠(ドック)及び諸機械の運転功用を見んが為、内外国人を問わず来観する者一日数百人・・・」とあり、当時流行したガイドブック『横須賀港独案内』にも「港内の壮観…は造船所の構造にして、ドック、船台の模様より諸機械運転の作用等を縦覧せんが為内外国人の来遊するもの日々数百人の多きに至る」という盛況で、外国人も含めて当時最新の機械工業の施設と製造現場を見学できる一大テーマパークだった。外国人まで見学に入れたのだから横須賀=軍港=秘密の軍事基地、という暗いイメージではなかったと、まず確認しておこう。
本紙2548号(2021年6月27日付)掲載
バックナンバー
- 村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」81 -日本産業革命の地・横須賀造船所― 2021.07.27 火曜日