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奈良・唐招堤寺から数百年前のボルト、ナットが発見される

同志社クラーク記念館から明治25年製作ボルト発見

  本紙第2027号(1月7日付)にて概報の、唐招提寺金堂修復工事において発見された約百年前のボルト・ナットよりも更に歴史を遡った、推定明治25年製作のボルト・ナット等が、同志社クラーク記念館の保存修理工事で発見された。

  クラーク記念館は、同大学の今出川キャンパス(京都市上京区)構内にあり、明治27年1月に竣工。神学校として建てられたもので礼拝堂・教室等を備え、昭和38年の神学館完成までは同校の神学研究・教育の中心施設であった。54年には、屋内外とも国の重要文化財に指定され、ドイツ人設計者・Rゼール氏による設計図と新築仕様書を付帯資料に含めて重要文化財の附(つけたり)指定を受けている。構造は、印象的な尖塔を有するドイツ復古式の煉瓦造2階建の瓦葺で、建築面積三九八・八七平方メートル・延床面積七九九・三九平方メートル。礼拝堂は小教室に仕切られて使用されているが、現在でも同館はシンボル的な存在でもある。

  明治27年竣工から百十数年が経過して外壁の煉瓦や、内部では各建具類・階段廻り及び仕切り壁、急勾配の浅瓦葺などの破損並びに老朽化が進んでいることを踏まえ、京都府教育委員会の設計管理のもと半解体修理による初めての大規模な工事が平成15年1月に着手された。後世に改造された部分を撤去して、建築当初の形式を基本に復原・整備・耐震補強を行ない、竣工後は再び教育・研究の場として使用する予定である。工期は五ヵ年計画で、本年12月の完成に向けた工事が進められている。

  ボルト・ナット等は、小屋組の解体作業時に、合掌と梁を締結する用途等で使用されているのが発見された。1セット(ボルト・ナット)に四角座金を2枚嵌めてあった。保存資料によると明治26年に上棟式を行っていることからボルト・ナットの製造は前年の25年製と推測している。回収されたボルトとナットは、唐招提寺のものと殆ど同じ形状であるが、ボルト頭部は胴部との一体成形でないことが唐招提寺のものよりも鮮明に解かる製品もみられる。二例目の発見により、当時の洋式屋根の締結に使うボルトは、頭部と胴部を別々につくり、それぞれのパーツをカシメ加工していた可能性が高くなっている。ナットは、唐招提寺でも後に判明したことであるが、板材を丸めた製法が用いられている。しかし、ねじ切り工程は丸める前なのか後なのか、六角形状の成形手段は治具か鍛造打ちか等は不明である。

  ボルト胴部のねじ部に近い箇所には「GERMAN」、「SALAMANDER」と「王冠」の刻印が読み取れる。前者は国名のドイツと理解できるが、後者は企業・製品・製造社名などのいずれかであろう。王冠の刻印が企業のロゴマークを表しているのかも知れない。

  このボルトは、材料を輸入して日本国内で生産したとの見方が有力視されている。その理由は、同じ構造上での使用でありながらも梁の厚みに応じてボルトの長さが異なり、同じ長さでもねじ長さが異なることと、現場での調整によって加工した形跡が伺えること。完成品の長さ不足から、胴部を叩いて全長を伸ばした変形加工跡もみられる。

  サイズは、梁によってφ22とφ25、太いものではφ30であり、当時の世界に一般流通する規格からみてウィット系のインチねじではないかと思われる。頭部の形状は、六角のほか用途に合わせた四角もある。材料は、唐招提寺と同様に鉄鋼メーカーで解明中。

  明治20年代には日本政府の施策により欧州技術の導入を積極的に推進していた背景がみられ、ボルト・ナット以外にも様々な近代的金属製品が多用されている。煉瓦壁の補強や煉瓦と木部の緊結用として帯鉄が使用され、構造的な負荷の大きい窓開口の上部や壁面から持ち送りで突出した部分には鉄道用のレール材が埋め込まれている。このレール材は、世界遺産登録のイギリス南ウェールズ地方にあるブレナボン産業景観の一つブレナボン製鉄所(1789年設立)の「BLAENAVON1875」と「BLAENAVON1877」の刻印がある。レール材には使用された形跡が残っている。また、尖塔へ繋がる出入り口のドアノブやクレセント(窓の戸締用金具)にはアメリカ製と解る刻印があるなど、ボルト等に限らず様々な業界・業種によって貴重な歴史的遺品が発見されており、当時の洋式輸入を多彩に組み合わせた貴重な建造物となっている。



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