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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」63-日本産業革命の地・横須賀造船所―

意外に安かった


横須賀造船所の建設費見積もり交渉の場で、フランス側から提示された総額240万ドルの見積額は、なんと従来オランダやイギリスに頼んでいた蒸気船建造費の三隻分くらいで出来るという見積もりだった。幕府側はその三倍程度を見込んでいたから、思いがけない安い数字に驚いた。しかし交渉中だからうれしい顔を見せられない。喜びをこらえるのに苦しかった。下を向いて無理に渋い顔でこらえ、予算が高いと苦しむ素振りで切り抜けた。会談を終えてフランス側が帰ると「おい、よかったな!意外に安く出来る!」とうれしさが爆発、手を取り合って喜んだ。

東洋で最大規模となる造船所建設計画がこうして確定した。のちにこの造船所が日本海軍の基礎となり、昭和30年代にはイギリスを抜いて世界一の「造船大国日本」となる原点がここにスタートしたことになる。

ヴェルニーは、さっそく横須賀に赴き現地を検分の上で次の仕事を指示する。
・佐賀藩献納の造船器械を点検し、錆を磨いて横浜製鉄所に据える手はず。
・横須賀の地を計測し、余分な小山を削って埋め立てる大まかな地形土木。

こうしておいていったんフランスに帰国すると、技術者の選任と必要器械の買い入れを開始した。
幕府はヴェルニーの後を追うように、外国奉行柴田日向守剛中ら一行を派遣し、技師と工士を雇用し、器械を買い入れ、さらに陸軍三兵(歩兵、騎兵、砲兵)の教師派遣も依頼する任務にあたらせた。

ヴェルニーは日本へ来たとき二十九歳。フランスに戻ったヴェルニーを追うようにマルセイユに着いた柴田たち一行の中にヴェルニーの顔を知っている者はいなかったので、出迎えた一見大学を出たての素朴な若者に、柴田は「お父さんはどこにいますか…」と訊いた。父親が息子を代わりに出迎えによこしたと思ったのだ。ヴェルニーは「父は田舎におりますが…」と話がちぐはぐになる。





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