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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」48-日本産業革命の地・横須賀造船所―

東郷平八郎の謝礼  

 明治四十五年(1912)夏、東郷平八郎は自邸に小栗上野介の遺族小栗貞雄と息子又一を招いた。小栗忠順の孫又一は小栗道子夫人が会津に逃れて産んだ小栗の遺児国子の長男でこの時十四歳、中学生の年頃である。機嫌よく二人を迎えた東郷はまず二人に上座に座るよう勧めた。

 「東郷元帥は丸顔でいが栗頭、一見したところ平凡素朴な風格であった。元帥が応接間で、物静かに言葉少くはあったが教訓され、柿のお菓子をつつんで下さった…」(小栗又一「緑の地大宮行」・『上毛及び上毛人』第220号・昭和10年)
 
「東郷さんは後年、東宮御学問所総裁という地位に迎えられたくらいの人物だから、余程人格的にも優れた人であったとみえて、ただひとり勝利にひたっていたわけでなく、勝利したことによって、改めて日本海軍草創の歴史に思いを巡らしたのではないだろうか。薩英戦争で手痛い敗北を経験した東郷さんなればこその感慨であったろうと思う。そして思い出されたのが、横須賀村に造船所を建設した幕臣小栗上野介のことであった」(小栗又一の長男忠人「日露戦争と小栗忠順」・小栗上野介顕彰会機関誌『たつなみ』14号)

 遠慮する貞雄とのやりとりの後ようやく上座に東郷が座って落ち着くと、まず東郷は二人に礼を述べた。

 「日本海海戦の勝因の第一に(明治)天皇の御威光絶大なるものがあったことをあげ、軍事上の勝因の第一として、小栗上野介殿が横須賀に造船所を建設しておいてくれたことが、どれほど役立ったか計り知れませんと実に気持ちよく率直に、感謝の意を表されたと伝えられている」(小栗忠人・同上) 

 小栗上野介に無実の罪を着せて父子主従8人を斬首し、江戸から運ばれた家財を没収、入札で売払って軍資金として持ち去った薩長土の西軍(明治政府軍)に代って薩摩出身の東郷が、個人的ながら謝罪した場面と言えよう。





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