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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」86 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

「横須賀明細一覧図」 
 ドックを掘る 現在JR横須賀駅隣のヴェルニー公園中央に市の恩人として小栗上野介と仏人首長ヴェルニーの胸像が据えられている。その二人の視線の先は真向かいの元横須賀造船所、今は米海軍横須賀基地に向けられ、正面に造船所の初めに建造された3つのドライドックが見える。こちらの視線が低いからドックを仕切る黒い扉(ケーソン・潜函)が見えるだけで、全貌は想像するしかない。現在も稼働しているこの3つのドックは公園から見ると建造順は右から1、3、2であったが、現在は1、2、3のナンバーを付けている。
このあたりは、もとは盛り上がった標高約45㍍の白仙山の先端が海に落ち込む岬だった。

 実はヴェルニーの初めの設計図ではドックは小さな入江の白仙浦や隣の美香保浦を埋め立てて造る予定だったが、日本は地震が多いことから設計変更して、現在地とした。一番の決め手は土質が土丹岩と呼ばれる粘土質の軟岩(連載59参照)であること。土丹岩はドックの施工上も非常に有利で、掘削は堅めの水飴をほじるように困難だが、「粘着力が強いので鉛直に掘削しても自立性が高く、崩壊しづらい。地盤が水を通す透水率も低いから、掘削後の土留め対策と止水対策が容易となる」(季刊大林47「造船所」)。

 地盤が流動する砂地ではその土圧が壁面を圧迫するから、壁に十分な裏込め対策が必要になる。白仙山をどかした岩盤がすべて土丹岩の場合は安定しているから、関東大震災ほか度重なる地震にも液状化することなく耐え、「まだあと百年はもつでしょう」と現場の職員は言う。また土丹岩は水を含まないから水圧で壁面を壊すこともないし、地下水圧が底面を押し上げる力も少ない。
幕末の短期間に白仙山周辺の土質を念入りに調べ、ドックの適地とした周到な計画が、170年後の現在まで使用に耐えるものとなっている。こういった事実に、当時のフランス人技師たちの技術と知識を支える誠意を強く感じる。

本紙2563号(2021年11月27日付)掲載





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