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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」19-日本初の株式会社―

 パナマ鉄道はコムペニー


 パナマは運河で有名だが、運河より先に1855安政二年に建設され遣米使節も乗ったパナマ鉄道は現在も走っている

 正式渡米した日本人として初めて汽車に乗り「速い。道端の草木が縞に流れて見分けがつかない」という素朴な感想が書かれた。「機関は蒸気船と同じ仕掛けで、先頭は8輪、日の丸と星条旗を掲げ、機関の上の火を焚くところには上屋根をかけてある。火焚きは一人。第2車は4輪で、薪を積んでいる。人を乗せる車両を六つつなぎ、車両と車両の間は鉄の蝶番(ちょうつがい)で連結している。車両は長さ約7間、幅1間半。左右にイスを24ずつ並べ、中央に通路がある。車道(線路)は材木を横にして鉄を二本通し、その鉄道の上に車輪を乗せて走る。車両がきれいなことは、言葉に尽くせない…」ものであった。走り出すと「先頭の蒸気車が走り出すと後についた6車両も動き出し、走る音がうるさくて並んで座っている者とも話ができない…」(野々村忠實「航海日録」・意訳)。
太平洋側のパナマから大西洋側アスペンウオールまで約96キロを、途中休憩を入れ4時間で走った。


 前方車両は機関車に近いので煙くて臭くてうるさいから上等席は後部車両だ。その後部車両の使節団幹部の日記で、おかしなことに数名が同じことを書いている。日本人の質問に対するアメリカ側の説明が各人の日記に共通して書かれたらしい。質問内容を説明から推測して復元すると次の二つになる。


 ・5年前にできたというこのパナマ鉄道建設の、総経費はいくらか。
 ・その資金はどうやって工面したのか。

 ポイントをついたこの質問はだれがしたか。帰国後の言動から考え小栗忠順と見てよいだろう。アメリカ側は次のように説明している。(つづく)

本紙2362号(2016年4月27日付)掲載





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