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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」60-日本産業革命の地・横須賀造船所―

 勘定奉行小栗上野介

 小栗忠順は経済に強かった。遣米使節の旅でパナマ鉄道が株式会社の手法で建設され運営されていることを理解して、帰国後日本で最初の株式会社「兵庫商社」や「小布施の船会社構想」「築地ホテル」建設が行われたことはすでに書いたとおり(平成28年6月~30年6月号)。

 さらに付け足せば、ワシントンからフィラデルフィアに着いた時、合衆国造幣局を訪ねてドル金貨と小判金貨の全量分析試験を主張して引き下がらない。ついに全量分析試験を行って両方の金貨の価値はほぼ同等(日本の金貨のほうが銀の含有量がわずかに多い)であることを確認させ、それなのに銀貨を基本とした日米の通貨交換が、現行では日本側に不当に不利な状況になっていることを認めさせる前提の確認までこぎつけている。(村上泰賢『小栗上野介』平凡社新書/HP東善寺、参照)

 明治になって、旧幕臣がこう語っている。

「幕末の旧幕臣がしばしば私に語るところでは、貨幣に関し、または経済に関する知識を勘定奉行で持っている人は稀で、ただその役に就いて部下が差し出す書類に判を押すだけに過ぎない。勘定奉行でこれらの智識を持っていたのは小栗忠順だけだった…」(勢多東陽『小栗上野介』東京博文館・明治34年九月・意訳)

 フランス側から技師長として、上海で砲艦の建造を終えて帰国する直前の技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーを推薦された。

 ヴェルニーはフランスの大学の上に位置するエリート教育機関グランド・ゼコールの一つであるエコール・ポリテクニック(理工科大学)を卒業して、フランス海軍大技士として上海に派遣されていた。
翌1865元治二年(四月七日から慶応元年)一月に上海から来着したヴェルニーを迎えて、日本・フランス双方から建設委員が選任され、協議して「横須賀造船所建設原案」八節としてまとめられると、それにもとづいて一月二十九日にフランス政府への覚書として「横須賀製鉄所約定書」が発行された。





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