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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」47-日本産業革命の地・横須賀造船所―

要注意の歴史用語・横須賀「製鉄所」

 はじめに横須賀造船所の名称の変遷をまとめると、ここは初め「横須賀製鉄所」という名称で建設された。この「製鉄所」は「あらゆる鉄製品を製造する総合工場」という意味。今年5月の小栗まつりで記念講演した作家鳴海風氏は東北大学工学部機械工学専攻の技術者で、和算や天文学、測量などを主題とした歴史小説を書いているが、講演の中で「飛行機をどう造り、どう飛ばすかが機械工学で、その中に船もロボットも入る。飛行機を学ぶといろいろなことが出来る学問…」と語っていたのが印象的だった。幕末から始まった近代造船工学が当時の機械工学の最先端とすれば、今は飛行機工学がその位置についているということ。われわれシロウトには新鮮な視点だった。

 1871明治四年に「横須賀製鉄所」は「横須賀造船所」と名称を変え、「製鉄所」は現在の意味の「鉄鉱石から鉄を製する所」となった。明治四年以前の「製鉄所」は現在とは意味が異なるから要注意の歴史用語といえる。

 現在の意味の製鉄所は基本的には鉄山の傍に熔鉱炉を据えて鉄鉱石を熔かし、銑鉄にしてから運び出す。例えば、小栗忠順は本格的造船を開始すると大量の鉄が必要となることを見込んで国内に鉄山を求め、横須賀製鉄所の建設と並行して中小坂鉄山(群馬県下仁田町)の開発を手配した。明治政府に引き継がれたこの鉄山は麓に熔鉱炉を据え、鉄を生産して運び出していた。横須賀に鉄山はない。当初、横須賀製鉄所では銑鉄を外国から買い込んで熔かし、様々な部品に加工するところから作業をしていた。 

 1903明治36年横須賀海軍工廠と名称が変わり、敗戦後は米海軍横須賀基地となって、造船はせず修理部門が稼働している。

 この横須賀造船所を基本として1889明治22年には呉(広島県)、佐世保(長崎県)、1901明治34年には舞鶴(京都府)で同様に造船所や海軍工廠が建設された。





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