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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」82 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

 造船所首長 ヴェルニー(フランソワ レオンス ヴェルニー Verny)
 
 ヴェルニーの業績では、近代化が遅れていた日本に当時最新の横須賀造船所をゼロから造り上げたことはもちろんだが、特に横須賀造船所の特徴4つのうち「3、教育機関で人づくり 4、近代経営の方式定着」で、首長ヴェルニーの誠実公正な指導と実行が光る。そして日本で壮年時代を過ごしたため、帰国したフランスに彼が十分な腕を振るう席はなく、軍港ブレストの海軍関係に勤めたり鉱山の経営に携わたったりしてほとんど無名に近い生涯を送った。

 だから来日した仏人は、外務省関係者でさえもヴェルニー公園の胸像前で毎年「ヴェルニー・小栗祭」が行われ顕彰されていることを知って驚く。
産業革命とは、イギリスで蒸気機関による紡績機械の改良が18世紀末に起こり、原動力が人力・水力から蒸気機関に替わって生産が機械化量産化された=工業化(生産技術革命)だけでなく、一方で資本家の搾取・労働者階級の窮状を惹き起こし→労働組合の結成→社会主義の勃興など経済・社会組織の急激な変革(社会革命)をもたらすことを含めていう。

 首長ヴェルニーは、英国と並んで産業革命を背景に植民地拡張に走ってきたフランスの政治に束縛されることなく、「末永く使ってもらえるいいものを造る」技術屋に徹して設計施工し、日本人の労働慣行を変え、学校を設置して技術の継承を図り、横須賀造船所を通して日本近代化に大きな貢献をしていることを、日本人はもっと認識してほしいと思う。

◆1837年仏オブナに生れ、パリのエコール・ポリテクニク(理工科大学)、海軍造船学校を卒業。ブルターニュのブレスト海軍工廠で働いた。中国寧波で砲艦造船を遂行の後、横須賀製鉄所建設の首長として招かれ1865元治二年一月来日。1875明治8年12月末日で解雇となるまで10年間、横須賀造船所首長として日本近代造船の基礎を築くことに邁進した。1908明治41年5月故郷オブナで歿。71歳。

本紙2551号(2021年7月27日付)掲載





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