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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」80 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

小栗上野介と渋沢栄一

 いま放映中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」に関した割り込み記事です。6月20日(日)第19回に小栗上野介がちょっと登場するようです。
 
 1866慶応二年のパリ万博に将軍徳川慶喜の代理で弟昭武が派遣されることとなり、3月横浜出航前に万博出品責任者の勘定奉行小栗は昭武の元へ挨拶に出向いた。そのあと小栗の許へ会計庶務として随行する渋沢栄一が顔を出し、昭武公が5年間留学する費用についてくれぐれもよろしくと挨拶した。

 渋沢の挨拶をうけた小栗はこう言った。「お前さんは討幕を計画したほどの男なのに、5年も先の幕府を心配するのはおかしい話だ」

 渋沢はびっくり。たしかに過激な水戸学に染まって攘夷討幕を唱え、高崎城を乗っ取り横浜から外国人を追い払うと計画した。決起寸前に京都から戻った従兄弟渋沢長七郎のこの計画は無謀で実行不可能、という必死の説得で中止となった。既に武器を集めていたから露見を恐れ、郷里を出奔して京都へ行き、知遇を得ていた平岡円四郎のつてで一橋慶喜家に仕官するうち才能を見込まれ、昭武に随行することになった。小栗はその渋沢の素性を知っていたのだ。
渋沢が冷や汗をかきながら「いえ…、それはもう昔の話で…」というと、小栗は「何をいうか、まだ1,2年前の話ではないか。まあいい、冗談だ。一生懸命昭武公のために働いてくれ」と笑ってその場を収め、「貴殿のことも承知(=まだ執行猶予中だぞ、しっかりやれよ)」とクギを刺した。「自分が勘定奉行の間は心配するな」と言い、付け足してこうも言った。「しかし、幕府の運命についての覚悟だけはしっかり決めておくことが必要であろう」 
                                      
 その後両者の間にどんな会話がかわされたか正確な記録は見つかっていないが、小栗上野介からこんこんと渡米経験に基づく外国事情・経済・経営・見るべきもの・注意すべき事柄を伝えられたに違いない。いま北区王子・飛鳥山の渋沢史料館に入ると、小栗の構想を実現したのが渋沢、と見えてくる。

本紙2545号(2021年5月27日付)掲載





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