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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」77 -日本産業革命の地・横須賀造船所―

中小坂鉄山の開発

 遣米使節一行はアメリカで大量の鉄を惜しげもなく使用している「鉄の国アメリカ」と、「木の国日本」の違いを痛感していた。アメリカでは「町外れに捨てられた鉄製品を誰も拾わない」「ホテルの垣根が鉄でできている」「ワシントンの川にかかっている橋は鉄で、欄干も鉄。そういう橋があと4つ上流下流に見える!」(本紙連載4参照)と一行の日記に驚きが残されている。

 日本では火事の焼け跡で釘を拾い、曲がったのを直してまた使い、落ちている金物など一つもない国だった。小栗は、本格的な工事に入る横須賀造船所が完成すれば良質な鉄が必要となる。日本を鉄の国にするため国内にいい鉄山はないかと調べ、上州甘楽郡小坂村(下仁田町)中小坂の金久保山に着目した。ここは幕末の弘化嘉永頃から鉄鉱の小規模な採掘が始まっていた。水戸藩主斉昭は攘夷派の総本山のように振る舞っているが、近海に出没する外国船の脅威に対抗するにはやはり西洋式軍備が必要で、それにはまず鉄が大事として1855安政二年、那珂湊に反射炉を築造し、原料として中小坂の鉄鉱石が運ばれていた。

 1865慶応元年閏五月、小栗ら陸軍奉行3名は連名で中小坂に鎔鉱炉を建設する建議を出した。「製鉄所の建設、大砲の鋳造、反射炉の建築、艦船の製造や海陸で用いる諸機械の製造には岩鉄類を多量に必要としますが、近ごろその価格が高騰し、ゆくゆくは(外国からの)購入経費が莫大なものになるので、国内での鉄山開拓は急務のことです。南部(釜石)の巌鉄、石見国(島根県)の鋼鉄など各地にもありますが、松平摂津守領分(小幡藩)の上州小坂村は一山全体がすべて巌鉄で、塊鉄も産出する模様です。先ごろ、分析をさせたところ、その性合、格別に良く機械類の製造に最適な品と思われます」(『勝海舟全集15』陸軍歴史巻九・意訳)との中小坂鉄山の開発の建議であった。(つづく)

本紙2536号(2021年2月27日付)掲載





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