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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」56-日本産業革命の地・横須賀造船所―

 翔鶴丸の修理(続き)

 出来上がった蒸気機関は機関車にも蒸気船にも使えるし、工場の原動力ともなる。ワシントン海軍造船所で見たネジ、スプーンから蒸気機関、大砲まで何でも作る総合工場としての造船所を小栗上野介は構想しているのだ。

土蔵付き売据

 小栗上野介が栗本瀬兵衛に語った「土蔵付き売家の栄誉」とは、母屋(政権)が売りに出てもこの土蔵(造船所)が新しい家主の役に立つということで、明治維新の三年前、すでに幕府政治の行き詰まりを見通し、のちの時代のために造ろうとしていたことがわかる。栗本は「その場の冗談と思ったが今彼のいったとおりになっている。あの時の彼の心中を思うと、胸が痛む」と書いている。(栗本鋤雲『匏庵遺稿』)
ところがこれに異を唱え、「小栗上野介が三年半後の幕府瓦解を予見する『土蔵付き売家』というセリフを口にするのは疑わしい。栗本鋤雲は、非業の死を遂げた小栗上野介をいたんで…創作を挟んだに違いない」とする歴史家がいる。では次の話はどうだろう

 ある幕臣が「幕府の運命もなかなかむつかしい。費用をかけて造船所を造っても出来上がる時分には幕府はどうなっているかわからない」と言ったのに対し小栗は、「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない(幕府が終わっても、日本は続く)」といい、さらに様子を改めて

 「私は幕府の臣であるから幕府のためにつくす身分ではあるけれども、結局日本の為であって、幕府のしたことが長く日本のためとなって徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば、徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか。同じ売り据え(家具付き売家)にしても土蔵付売据の方がよい。あとは野となれ山となれと言って退散するのはよろしくない」と語った。  (島田三郎「懐舊談」『同方会報告』明治28年第1号)

本紙2473号(2019年5月27日付)掲載





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