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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」41 -日本初の株式会社―

 株式会社・築地ホテル(10)―世情混乱の中で建設― 

思えばこの頃の世情もまたあわただしい。ホテルの建築工事を着工して間もない十月十四日、将軍慶喜は大政奉還を上表して、翌十五日勅許される。勅許した朝廷は政権を投げ出されても現実に政治を行なえる体制にないから「諸大名が参集して会同が行なわれるまでは、将軍の職務は従来の如く心得べし」という沙汰書きを幕府に出しながら、その裏では倒幕派の裏工作により十三日付で薩摩藩、十四日付で長州藩へ「倒幕の密勅」(偽の勅書といわれる)を授け、さらにその実行はしばらく延期せよ、という沙汰書きを出す混乱した奇妙な事態が起きていた。そして十二月九日武力倒幕派のまき返しで〈王制復古〉が打ち出され、翌年一月三日の鳥羽伏見の戦い、慶喜の逃亡・恭順による幕府解散、五月の彰義隊の上野戦争といった混乱の中で、江戸築地ではホテル建設が進められていた。

 旧幕府は当初十二月に約束していた江戸開市を翌慶應四年三月九日(1868年4月1日)に延期することを外国公使に通告、その期日もまた西軍東征による世情不安から、新政府によって明治元年十一月十九日(1869年1月1日)に延期されていた。
弥十郎は昨年一口百両を出資して仕事をもらい、さらに支払いが滞っている工事代金百両を組合加入費として提供して、計二口の加入者となった。この仕事は「甚だ信用できない事業」(『平野弥十郎日記』)だが、今年に入ってから幕府解散にともない、世情の先行き不安から、一株百両で加入すれば一年で百両の配当がつくというふれこみがかえって人気を呼び、多胡という与力も聞きつけて加入する、馬喰町のソバ屋鴨南ばんも五株加入するなど、加入者が増えて慶應四(1868)年八月にはホテルもすっかり完成した。

本紙2428号(2018年2月27日付)掲載





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