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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」26-日本初の株式会社―

 小布施の”船会社” (3)―小栗忠順の示唆―

 当時の北信州で株式会社の手法に着目して船会社の設立をめざすことは、驚くべきことといえるが、その具体的計画に、かなりの部分で日本最初の株式会社「兵庫商社」を立ち上げた小栗の示唆があった。
鴻山は小栗の示唆を受けて、慶應三年(1867)八月、次のような「船会社設立案」上申書を、松代藩に上申した。

        上申書

 …(略)…偶然、勘定奉行小栗公との話で信州越後の富豪を集めて会社を輿し、船を造り外国との貿易をする話があり、幕府の蒸気船を拝借することが出来そうです。いま御府内にいるアメリカ人ウェンリイ(ヴァン・リード)という人を雇って船と商売の指南役とすれば、何とかなりそうです。…信州にはそれ程の富豪はいないが人物はいる。越後には富豪がたくさんいるからそれらをまとめて、官船を拝借してまず組合を結社し交易を行うことは、ただ富豪のための産業ではなくて、海外貿易を発展させ、ゆくゆくは造船まで行うことで、富国強兵につながり国民利福を図ることになります…


 (高井鴻山「上申書」小布施町教育委員会蔵・意訳) 

 としている。「新潟の資本と信州の人材で経営したい」というところに、新潟の人は少々カチンと来るかも知れないが、まちがいなく北信越に〈国民利福〉を理念とする株式会社の商法が根付こうとする場面である。「武士は関与せずに町人だけで組織したい」とする船会社の構想も、後世の史家が「幕府が貿易の独占を図った」などと批判する兵庫商社がじつは大坂の商人だけで組織しているやり方と共通していて、批判が見当違いであることはあきらかである。

本紙2383号(2016年11月27日付)掲載





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