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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」22-日本初の株式会社―

   日本初の株式会社・兵庫商社


 兵庫開港をチャンスとして小栗忠順は慶應三(1867)年四月、「兵庫商社」の設立を建議した。趣意書にこう書く。

 これまで横浜・長崎の港を開いて貿易をやってきたが、やり方がまずい。どの国も港を開くと、その国の利益になっているのに日本では薄元手(小資本)の個人商人が個々バラバラに元手厚(大資本)の外国人商社組合の商人にぶつかるから、いいように操られ結局日本人同士が競争させられて、利益は外国商人に持って行かれている。このまま放置するといずれ商人個々の損得の問題では終わらないで、国の損得に関わる問題となるからやめさせたほうがいい。外国人と取引するには、外国貿易の商社(西洋名コンパニー)のやり方に基づかなくては、とても国の利益にはならない。

 と、開港以来の日本商人の手法ではいずれ国の不利益になると指摘している。
趣意書はさらに続く。

 こんど兵庫の港を開くにあたっては大坂の商人二十人ほどを選んで資本を出させて商社組合を設立し、役員・定款を決め、加入したい人は一株いくらで誰でも入れるようにして、その組合を通して貿易をすれば対等な商売ができる。政府には関税利益が入るからその利益も合わせて、いずれガス灯・郵便電信制度を設ける、鉄道を敷く…(塚越芳太郎『讀史餘録』民友社/渋沢栄一『徳川慶喜公伝』東洋文庫)

 この提案は認められ、定款も役員も出資者もそろった「日本最初の株式会社」といえる兵庫商社が大阪中之島に事務所を置いて設立された。ちなみに、いま広辞苑で「商社」を引くと〈Companyを小栗上野介が訳した言葉〉という説明から始まっている。

本紙2371号(2016年7月27日付)掲載





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