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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」20-上陸記念碑―

 ワシントンに上陸記念碑を建立


 パナマ鉄道建設の話の途中に割り込みで、5月13日ワシントンで遣米使節上陸記念碑の除幕式が行われたことをお知らせしておく。

 遣米使節一行が上陸した海軍造船所(海軍博物館もあり平日は見学できる)構内に、遣米使節子孫の会が寄付した形で上陸記念碑が建立され、米海軍による除幕式が行われた。米国東海岸に記念碑が出来たことで①遣米使節の業績を伝えるシンボルとなり、歴史を確認するよりどころとなる。②この造船所を見学したことが小栗の横須賀造船所建設提案の契機となったことが認識される意義がある。ワシントン在住の村垣孝会長が交渉を重ね、文章を練り直し、建碑や式典を手配するなど孤軍奮闘しての除幕式であった。

 余談を二つ。①除幕式後のレセプションで、私を尋ねてきた若い男性は、米国議会図書館に勤めている日本人。彼が紹介したクリスティさんはメリーランド大学院生で、図書館に入っている権田村の名主佐藤藤七の和綴じの絵日記を調べているという。ビックリ!そんなものがあったのか!! 藤七は小栗の従者として渡米し世界一周した記録を『渡海日記』として残している。私が所蔵者から借りて調査し、先年に『小栗忠順従者の記録』として上毛新聞社から発行した。それも議会図書館に入っているそうで、彼女は絵日記と私の著に載っている挿絵を比較して調べているというのだ。


 ②帰国するダレス空港で、売店で働く日本人女性と話しているうちに、子どものころに群馬県群馬郡倉渕村権田に行った、という。なんと大井磯十郎の曾孫だった。磯十郎は権田村の農家出身で小栗家の家臣として江戸で働き、主人上野介とともに西軍に斬首されている。これまで磯十郎の子孫は不明だったから、不思議な偶然の出会い。収穫の多い、いい旅の締めくくりとなった。

本紙2365号(2016年5月27日付)掲載





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