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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」18-日本初の株式会社―

 NYタイムズが称賛した・オグリ

 ペリー来日から7年後の、1860(万延元年)遣米使節の話に戻る。
先のニューヨークタイムズの記事の日本人評(本紙11月27日号)に続けて、先進的な人物として目立つ日本人がただ一人紹介され称賛されている。遣米使節(目付)小栗(おぐり)忠(ただ)順(まさ)である。

 「オグロブンゴノカミ(小栗豊後守)はアメリカの進んだ文明の利器を日本に導入することに大賛成であると言われている」(1860年6月30日付)

 小栗はフィラデルフィアの造幣局における金貨分析の通貨交渉で際立った対応(後述)をして新聞記者を感嘆させ、当時アメリカで人気の高かったブラック判事になぞらえて讃えられた。

「彼は、明らかにシャープな男である。ワシントンで〈日本使節のブラック判事〉とニックネームがついたのも、もっともなことであった。」(「ニューヨーク・ヘラルド」)

 使節一行の世話係としてポウハタン号からワシントンまで同行したジョンストン海軍中尉も、「小栗豊後守は確かに一行中で最も敏腕な最も実際的の人物であった。使節らが訪問せし諸処の官憲との正式交渉は皆彼によってのみ処理されたのである。彼は四十歳位(じつは数え34歳)の年配で小男であったが骨相学上より判断すれば優れた知的頭脳の人であった。少しばかり痘痕(あばた)のある彼の顔は智力と聡明とで輝いていた」(ジョンストン著『China and Japan』)
と、称賛している。「

 敏腕で実際的な人物」小栗忠順の日本産業革命のはじまりにつながる渡米経験と帰国後の活躍に視線を絞ってゆこう。

本紙2359号(2016年3月27日付)掲載





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