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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」7-咸臨丸神話が隠した遣米使節―

咸臨丸神話の成り立ち


 少し横道にそれて遣米使節の歴史を隠している咸臨丸神話を見ておこう。

 明治5,6年に日本で学校教育が始まった当時の教科書は、届け出ればどれでもよかった。明治20年に検定制となり、明治37年からは国定制となってそれ以外の教科書は使用できなくなった。まとめると次のようになる。
   
 教科書の流れ

明治5年学校制度創設~  ……届出教科書の時代
明治20年~        ……検定教科書の時代
明治37年~昭和20年敗戦 ……国定教科書の時代

 さてその国定教科書を見ると歴史教科書では遣米使節・勝海舟・咸臨丸にまったく触れていない。小学生に日本の歴史全体を教えるのに細かい話は省いて当然だ。

 ところが大正7年から国定「修身」教科書に突然、「勝海舟」と「咸臨丸」の話が登場し、昭和20年敗戦まで27年間セットで教えられていた。

先に結論を言うと、

・戦前の日本人は国定の歴史教科書では「遣米使節」「勝海舟」「咸臨丸」をいっさい教えられていない。戦前の小学生が歴史の時間に遣米使節や勝海舟・咸臨丸を知る機会はなかった。
・戦前の日本人は国定の修身教科書で大正7年から、「勝海舟」と「咸臨丸」の話(だけ)を教えられていた。

 修身教科書で、サンフランシスコまで遣米使節に随行しただけの咸臨丸を誇張と虚構を交えて教えられ、その前の課で勝海舟の誇張された勉学話とのセットで学んだから、国民は勝海舟と咸臨丸の誇張された「お話」をすべて歴史と思い込み、「苦学した【勝海舟が遣米使節】として咸臨丸で【日本人だけで航海し、日本人初の太平洋横断】を成し遂げた快挙」と誤解したことがわかる(【】部分は誤り)。


本紙2326号(2015年4月27日付)掲載





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