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村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」4-ワシントン海軍造船所―

鉄の国アメリカ 

 渡米した使節一行が痛感したのは、アメリカは鉄が豊富に使われている国ということ。

 たとえば、小栗の従者木村鉄太(熊本藩士)はワシントンのウィラードホテルで、「ホテルの籬(まがき・垣根)はすべて鉄」(『航米記』)、と日本では竹か板でつくる塀や垣根が鉄である驚きを描写している。加藤素毛(飛騨国金山)は、ワシントンの川に「橋がかかっている。それは鉄の橋で、欄干も鉄で、こういう橋がほかに上流下流に四つ見える」(『亜行日記』)と記している。使節一行の乗った米国軍艦ポウハタン号にサンフランシスコまで随行し、日本-サンフランシスコを往復した咸臨丸に乗っていた福沢諭吉も、「町はずれのゴミ捨て場に使われなくなった鉄製品が捨てられ、誰も拾って行かない」と驚いている。

 ゴミ捨て場にクギ一本も落ちていない「木と紙の国」日本では火事の焼け跡を掘り返して釘を拾い、打ち直してまた使っていた。遣米使節の三使任命があった安政六年(1859)九月、幕府は、今後は大砲などを製造するために銅鉄の需要が増すからと、新たに銅鉄で仏像仏具を製造することを禁止する御触れを出している。第二次大戦中の金属回収の前例はここにある。日本はほとんど鉄がないも同然の国。刀や槍が鉄、程度では比較にならない圧倒的なアメリカの鉄の量であった。

 これは、砂鉄を原料とする「タタラ製鉄法」で、鉄を生産するたび炉を突き崩して取り出していた日本と、高炉で鉄鉱石を熱して鉄を連続して大量に取り出し、できた銑鉄(せんてつ)の塊を反射炉でさらに溶解し選別加工して製品化してゆく西洋の製鉄法との違いでもあった。日本を、アメリカのような「鉄の国」に造り替えるには、何から手をつけたらいいのかという課題が、ワシントン到着以来日米の差を見せつけられた小栗忠順の脳裏に淀んでいた。ワシントン海軍造船所の見学は、その課題を解決する糸口を与えるものとなった。

本紙2317号(2015年1月27日付)掲載





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