現在位置: HOME > コラム > 村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」 > 記事



村上泰賢氏の「わが国産業革命のはじまり」3-ワシントン海軍造船所―

  造船所は「船も」造る総合工場


 次に一行は造船所内の木工場に案内された。当時の黒船の船体は木造だからたくさんの材木を用いる。一行の帰国で乗った「ナイアガラ号」4,800㌧の場合で、普通の民家50~60軒分の材木が使われている。材木を汽水につけてアク抜きをし、引き揚げて乾燥させ板に挽(ひ)くと船体、船室、手すり、階段、床、ドアからベッドまで、すべての木工作業を行なっていた。

 蒸気船といってもふだんは石炭を節約して風で走っていたので、正式には帆走汽船の部類に入る。そのために必要な帆を織り縫製をする製帆所、帆を操作するロープを編む製綱所の長い建物も造船所構内にあった。


 さらに案内され造船の場所へ行くと、これまで見てきた多種多様な部品を運んできて、船を組み立てていた。つまり造船所は船だけ造る所ではない。船に必要なあらゆる部品を作るがそれは必然的にほかの分野にも用いられる製品となり、そして「船も」造る総合工場だった。

 とくに一行の目を惹(ひ)いたのが作業の原動力となっている蒸気機関であった。石炭を焚いて沸かした湯の蒸気の力を回転力に変えると、工場内に配置されたシャフトに伝え、鉄を打つハンマー、削るドリルや旋盤の力として巧みに利用していた。蒸気船や蒸気車の動力が蒸気機関であることは知っていても、蒸気船を造り出す造船所の原動力がやはり蒸気機関であることを目の前で見たことは、大きな収穫となった。ふだん日記と家計簿までつけている小栗忠順だが、この旅の小栗の記録はまだ見つかっていない。「この機関の仕組みをわが国に導入すれば、国にとってたいへんな利益になると思われる」(「遣米使日記」)、という副使村垣範正の感慨を借りれば、同じ思いで見つめ、蒸気機関を原動力とした総合工場の日本への導入を真剣に考えていたであろうことは、帰国後しきりに造船所建設を提議し、帰国後5年目に着工にこぎつけたことからもうかがえる。


本紙2314号(2014年12月27日付)掲載





バックナンバー

購読のご案内

取材依頼・プレスリリース

注目のニュース
最新の産業ニュース
写真ニュース

最新の写真30件を表示する