現在位置: HOME > コラム > さゆり「おとなまえ」 > 記事



「祈りよ届け」

 令和二年一月、祖父他界の為に法事の関係で私は田舎へ帰省していました。東京に戻る前日に帰京を断念する事態が起こります。そう、それは世界中を震撼させた得体の知れぬ新型コロナウイルスからの危険回避の為でした。ダイヤモンドプリンセス……大袈裟な名前。その豪華客船が名前に劣らず毎日トップニュースとして騒がれ始め、ほどなくしてオリンピックの延期が余儀なくされ、学校、企業、飲食店、あらゆる場へ自粛の波が押し寄せました。私は暫く実家で様子を窺う事にしましたが、そのコロナウイルスの脅威は世界の状況を日々刻々と変化させていく事となりました。

 銀座の街ですか? そこも然り。ホステスや黒服は休む事を強制され、オーナーママたちは店の賃料を(小さくても月々五十万は掛かります)払い続け、お客様とは距離ができました。元々赤字すれすれで自粛を機に倒れてしまうお店、休業してじっと耐えるお店、三密(密閉・密集・密着)を避ける為に一日一組限定で営業するお店、経営者によって様々ですが繁華街は確実に縮小してゆきました。「接待を伴う飲食業」は感染の温床と呼ばれ、実際に集団感染の報告も相継いでいましたから急激な落ち込みようです。しかし当人たちにとって休業と雇用と補償……それらは生きるか死ぬかを左右する死活問題となり得ます。ホステスをしてそれなりの給与を毎月貰っていると、皆それなりの家賃のマンションに住むんですね。しかし収入ゼロになれば彼女たちだって家賃が払えない。

 日々感染者数が発表され、東京都は顕著で(正直、田舎に居ても怖いですが)そういったメディアの影響も人々のストレスを溜めてゆく要因でした。テレビで観る銀座の街は夜の繁華街だけでなく、昼間でも閑散としています。そうです、そこにあるのはクラブだけではありません。寿司屋をはじめ、銀座には食事処が多い。しかし、そういった場所もテイクアウトや通販に切り替えていかなければ売り上げはゼロ。老舗の洋食店だって潰れる時は一瞬です。

 外出している人々はみんなマスク姿。異様な光景はまるで街が死んでいるようでした。長く冷たく暗いトンネル、まだ光は見えなません。テレビに映るその場所が懐かしく目に映ります。昼夜問わず煌びやかで、そこにいる人々は洒落ていて、そこがいつだって最先端だったのに――。私は銀座に再び活気が溢れる事を祈らずにはいられません。





バックナンバー

購読のご案内

取材依頼・プレスリリース

注目のニュース
最新の産業ニュース
写真ニュース

最新の写真30件を表示する